健康を維持するうえで、大切だと言われる「食事・運動・睡眠」
どれかひとつだけではなく、それぞれの質を少しずつ高めていくことが、健康につながっていくと思います。
今回は、その中でも「食事」について書いてみようと思います。
質の良い食事とは、どんな食事なのか
質の良い食事とは、一体どんなものでしょうか。
炭水化物、脂質、たんぱく質のバランスが取れていること。
ビタミンやミネラルが適切に摂れていること。
もちろん、そうした栄養面はとても大切です。
ですが、それだけが「質の良い食事」なのでしょうか。
たとえば、好きな人と、心地よい場所で、会話を楽しみながら食事をする。
同じ料理でも、慌ただしい中で流し込むように食べるのとは、ずいぶん違った時間になるはずです。
自律神経の働きを考えてみても、副交感神経は消化の働きに関わっています。
それを考えると、「何を食べるか」だけではなく、「どんな状態で食べるか」も食事の質に関わっているのではないでしょうか。
食事は、口に入れる前から始まっている
私が敬愛しているプロテニス選手のひとりに、ノバク・ジョコビッチ。
彼は食生活を大きく見直したことで、自身の体調やパフォーマンスが変化したことを著書『ジョコビッチの生まれ変わる食事』などで語っています。
その中で印象に残っているのが、食事そのものだけでなく、食べ方にも意識を向けていることです。
食事の前には短い祈りを捧げ、食べ物への感謝を意識する。
食事中は余計なことに気を取られず、ゆっくりと食べる。
もちろん、これをそのまま真似すれば健康になる、という単純な話ではありません。
ですが、その姿勢を知ったとき、
「食事は、口に入れた瞬間から始まるわけではない」
と思いました。
料理を見る。
香りを感じる。
食器に触れる。
一緒にいる人と話す。
その時間すべてを含めて、「食事」なのだと思います。

食事の環境を変えるなら、まず食器から
とはいえ、毎日の食事のためだけに部屋のコーディネートを大きく変えるのは、なかなか骨が折れます。
利便性を捨ててまで、食事専用の空間をつくる必要もないと思います。
そこで、個人的におすすめしたいのが、「食器をひとつ変えてみる」ことです。
実は私は昔、食器の業界で働いていたことがあります。
そのため、食器には少しこだわりがあります。
当時、主に扱っていたのは岐阜でつくられた陶器の食器でした。
その影響もあって、我が家の食器棚には今でも陶磁器のお皿がたくさん並んでいます。
ですが先日、ふと、
「最近の樹脂製(プラスチック製)のお皿って、どうなっているんだろう」
と気になり、少し調べてみました。
15年ぶりに樹脂製の食器を見て驚いたこと
私が食器業界にいたのは、もう15年ほど前になります。
樹脂製のお皿には、メリットは感じるものの陶磁器と比べると、どうしても見劣りする印象がありました。
正直「樹脂製のお皿なんて」と少し小馬鹿にしていたところすらあったと思います。
ですが、今回見つけたお皿で、その印象が大きく変わりました。
「もしかすると、陶磁器よりこちらのほうが良い部分もあるのではないか」と思うほど、よくできていたのです。
まず、デザインが面白い。
表面の色味もきれいで、下手な陶磁器よりも鮮やかに感じます。
実際に料理を盛り付けてみると、それだけで食材が際立って見えます。
ただレタスをちぎって盛っただけなのに、なぜか高級レストランのサラダのように見えてくる。
もちろん、料理そのものは何も変わっていません。
ですが、目から受け取る印象が変わるだけで、食事の楽しさは確かに変わります。
部屋の片隅に置いておけば、ちょっとしたインテリアにもなりそうです。
食器棚に並べてみると、それだけで料理が得意な人の食器棚のようにも見えてきます。
こういう小さな満足感は、案外あなどれません。
軽さと丈夫さ、そして「縁の薄さ」
実際に手に取ってみると、陶磁器よりは軽い。
ですが、安価な樹脂製のお皿に感じるような頼りなさは少なく、程よい重厚感があります。
今回手にしたお皿は、メーカーが「1000回落としても割れなかった」と耐久性を紹介しているものです。
それを考えると、日常使いとしての利便性もかなり高く感じます。
そして、もうひとつ驚いたのが、お皿の縁の薄さでした。
陶磁器の場合、強度を保つために、どうしても縁にある程度の厚みが必要になります。
私は昔から、縁が厚い食器には少し野暮ったさを感じることがありました。
しかし、このお皿は縁がとても薄い。
その薄さのおかげで、全体の佇まいがすっきりしていて、とてもスタイリッシュに見えます。
昔は「樹脂製のお皿なんて」と思っていた自分がいました。
それが、ここまで進化していたとは。
少し驚きました。
自分の中にある昔のイメージだけで判断していると、知らないうちに良いものを見落としてしまうこともあるのだと思います。

毎日使うものだからこそ、少しこだわってみる
お気に入りの一枚が見つかると、それだけでも毎日の食事が少し変わります。
私は、頻繁に使うものほど、少しこだわって選んでも良いのではないかと思っています。
椅子。
寝具。
靴。
食器。
一回あたりの違いはほんのわずかでも、それを何百回、何千回と使うことを考えると、その小さな違いは少しずつ積み重なっていきます。
その中でも、お皿を一枚変えるというのは、比較的簡単にできる方法です。
料理を変えなくてもいい。
食生活を一気に変えなくてもいい。
まずは、自分が見ていて少し気分が良くなる一枚を選んでみる。
それだけでも、食事の時間は少し変わるかもしれません。
食器を探すのなら、上野の近くにある合羽橋道具街がおすすめです。
数多くの食器屋さんが並んでいて、見て回るだけでも楽しめます。
今では観光地としても有名になっているようなので、休日にふらりと歩きながら、自分のお気に入りを探してみるのも面白いと思います。
食事と整体は、どこか似ている
以前から私は、食事と整体はどこか似ていると思っています。
食事の質を決めるものは、料理そのものだけではありません。
どんな空間で提供されるのか。
どんなお皿に盛られているのか。
誰がつくったのか。
どのような食材が使われているのか。
誰と一緒に食べるのか。
そして、どんな気持ちでその時間を過ごすのか。
そうしたものが重なり合って、「食事」というひとつの体験ができあがるのだと思います。
整体も同じです。
私は、整体の品質を決めるものは、技術だけではないと考えています。
施術を受ける空間。
身体を預けるベッド。
肌に触れるタオル。
照明。
温度。
音。
そして何より、私自身が、どのような気持ちでその人に向き合っているのか。
そのすべてが、施術という時間に少なからず影響していると思っています。
技術だけでは、整体の質は決まらない
だからこそ、技術を磨くだけでは足りない。
空間を整えること。
声のかけ方。
身体への触れ方。
物を置くときの所作。
そうしたものも、私は施術の一部だと考えています。
そして案外、こういう部分には、普段の生き方がそのまま表れる気がします。
たとえば、普段からドアを大きな音で乱暴に閉めている人が、施術の時間だけ突然、繊細に身体へ触れられるのだろうか。
大切な人に乱暴な言葉ばかり投げかけているのに、施術の時間だけ心から相手を気遣う言葉をかけられるのだろうか。
何事にも悲観的で、「自分なんて」と言い続け、愚痴ばかりを口にしている状態で、その人の身体がこれから良くなっていく可能性を、本当に信じて触れられるのだろうか。
もちろん、人はそんなに単純ではありません。
私自身も、いつも穏やかで、正しく、立派に生きられているわけではありません。
乱れる日もあれば、苛立つこともある。
家族に優しくできなかったと反省することもあります。
ですが、そういう自分も含めて、
「普段の自分はどう在るのか」
という問いからは逃げたくないと思っています。
整体と日常は、切り離せない
整体のために清く正しく生きよう、という話ではありません。
日々を丁寧に過ごすことが、施術の丁寧さにつながる。
施術を通して学んだことが、日常の自分へ戻ってくる。
家族との接し方が変われば、人への触れ方も変わるかもしれない。
料理を丁寧につくれば、物を扱う所作が変わるかもしれない。
部屋を整えれば、目の前にある小さな乱れにも気づきやすくなるかもしれない。
そして整体を続けているからこそ、自分自身の日々のあり方を見直すこともあります。
一見すると関係のないものが、どこかでつながっている。
そのつながりが、また別のところへ流れていく。
良いものが巡り、少しずつ大きな流れになって戻ってくる。
食器を一枚選ぶことも、食事を楽しむことも、家族との時間も、整体も。
別々のものに見えますが、私の中では、どこかでつながっています。

整えるということは、身体だけに起こることではない
整体サロン『リーン』では、「整えて、還る。」という言葉を大切にしています。
整えるということは、身体だけに起こるものではないと思っています。
日々の小さな選択を少しずつ丁寧にしていく。
食事をする時間。
身の回りに置くもの。
人との接し方。
身体への触れ方。
そうした日々の積み重ねによって暮らしが整い、その暮らしがまた身体や心へと返ってくる。
そんな循環を大切にしながら、これからも整体と向き合っていきたいと思っています。
今回購入した、お皿について
石川県加賀市にある、樹脂メーカーから出発したお皿ブランド
食体験が少し変わる。
この器を使っていると、気分が明るくなる。
その時々を楽しんだり、わくわくしたり、自信が持てたり。
使っているだけで、生活が一段と心地良くなる。
そんな器づくりを目指しているそうです。


